映画『シェイプ・オブ・ウォーター』が描くマイノリティ

img:(C)2017 Twentieth Century Fox

3月4日に授賞式が開催された第90回アカデミー賞。最多13部門で候補となり、そのうち4部門で受賞に輝いた映画『シェイプ・オブ・ウォーター』は、
ギレルモ・デル・トロ監督の描く「声の出ない女性と半魚人との純愛ストーリー」だ。
本映画にはいくつもの側面がある。ラブストーリー、ファンタジー、特撮……そしてマイノリティ。

どの側面から切り取っても語るべき内容には事欠かない本作だが、
今回は本映画に登場する「マイノリティ」について考えてみたい。

また、人によっては「ネタバレ」と感じる内容にも言及するので、
まだ観ていない人は是非、一度映画館に足を運んでから本記事を読んでみて欲しい。

半魚人を取り巻く3人のマイノリティ


img:(C)2017 Twentieth Century Fox

本映画の特徴のひとつは、主人公イライザが発話障害を有す、「話せない」人物であるという点だ。
基本的には彼女と他の人とのやりとりは手話によって行われ、我々観客は、字幕や、彼女の手話を読み取った人間の
他者への説明、あるいは単語の繰り返しによって、イライザが何を伝えようとしているのか汲み取っていくことになる。

イライザは老齢の画家とフラットに同居している。序盤、イライザと画家との関係性ははっきりと明かされないので
人によっては「歳の離れた恋人?」「親戚?」等と想像を巡らせたかもしれない。
中盤で、彼がゲイであり、イライザとは単に良き友人として同居していることが明かされる。

同居するに至った経緯は作中では明かされていないが、お互いが助け合いながら暮らしていることは
さまざまなシーンから伝わってくる。

最後の一人はイライザの同僚である黒人女性。職場ではイライザの手話を読み解くことのできるほとんど唯一の女性で、
彼女と共に清掃員として働いている。

彼らはみな、半魚人ほどではないにせよ、社会から「異物」として爪弾きにされる要素を持った「マイノリティ」だ。

「人間」とは何か?


img:(C)2017 Twentieth Century Fox

作中、イライザが同居人に、おおよそ次のように訴えかけるシーンがある。

「『彼』は言葉を理解する。会話もできる。言葉が話せないだけ。そして自分もまた、言葉が話せない。
『彼』が人間でないというのなら、自分は人間だろうか?」

無論これは、彼女の懸想する半魚人を指して言った言葉だ。始めはこれに取り合わなかった同居人だが、
街の飲食店で黒人差別を目にし、そして自らもまたゲイであることを理由に店から追い出されたことをきっかけに
彼女に協力を申し出ることになる。

イライザの訴えかけが上記のシーンに紐付いていることには大きな意味があるだろう。

テンプレートな「差別主義男性」に思うこと


img:(C)2017 Twentieth Century Fox

『シェイプ・オブ・ウォーター』には、上記の通り様々な「マイノリティ」が登場するのだが、
「マジョリティ」側の存在として描かれる人物の中にも印象深いキャラクターが存在する。
最後にはそんな、サディストで女性・人種・職業差別主義の職業軍人、ストリックランドについて紹介したい。

国の極秘研究対象である半魚人の監視業務についていた彼は、はじめは単なる「嫌な上司」のような役回りで登場するが
イライザが半魚人を施設から逃したことをきっかけに、彼の中に秘められていた狂気が徐々に顕わになってゆく。

ギレルモ・デル・トロの作品には、必ずといってよいほど「この手の」男性像が登場する。
社会的強者であり差別主義者。作中で与えられた役割は無論、女性や子供、そしてマイノリティーを迫害することだ。

しかし、その内面は「現代社会の勝ち組」であり続けなければならない、という
一種病的な強迫観念に囚われ続けている。本作に登場した「その手の」男性であるストリックランドは、
ギレルモ・デル・トロが描く社会的強者の白人男性の中ではかなりそういった内面にまで言及された存在だろう。

本作では、精神を追い詰められた彼が鏡の前で「自分は強い男だ」「優秀な人間だ」と何度も己に言い聞かせるシーンが出てくる。
徹頭徹尾悪役であり、マイノリティを迫害する側の人間としての役割を持ったストリックランドだが、
見方を変えれば彼もまた、この社会の被害者の一人でもあるのだ、というメッセージが込められたワンシーンだと言えるだろう。

「社会から爪弾きにされる存在」と「社会の一部としての己の居場所を必死で確保し、そのために他者を爪弾きにする側の存在」に
両面から触れられた映画だと言えるのではないだろうか。

『シェイプ・オブ・ウォーター』をどう見るか

上述したが、『シェイプ・オブ・ウォーター』は様々な観点を持つ作品だ。
本作を恋愛映画として観るもよし、マイノリティ映画として観るもよし、特撮映画として観るもよし(ギレルモ・デル・トロ監督の特撮へのこだわりはまさに目を瞠るものがある)。

是非、映画を観たあなたの観点を、そして感想を教えて欲しい。

LGBT多様性映画

Made In Gender編集部 • 2018年4月7日


Previous Post

Next Post